2024年(平成36年)3月29日 金曜日
2016年(平成28年)創刊
発行
こんな山辺にするじゃん会
329日(金)

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霞山荘の歴史

昭和14年片倉製糸の今井五介社長が入浴し、その霊効に感激して木造3階建ての「霞山荘」を建築、福利厚生施設として利用された。 (「霞山」は今井五介社長の雅号)

建物は一見明治洋館を思わせる古風でモダンな佇まいで、八十畳の大広間を備え、客室の天井には屋久島の杉が張られ、総檜づくりの階段、浴室に続く廊下の天井の梁には見事な桑材が使われるなど木造建築の贅をつくした造りであった。昭和17年片倉健太郎氏の個人所有となり、片倉家が旅館として営業。戦後、昭和22年10月天皇陛下(昭和天皇)が松本御巡幸の折ご宿泊された。これ以降、昭和40年までの間に皇族方が9回お泊りになっています。(行幸・行啓記念碑参照)皇族方が訪れる由緒ある宿として、県内外にその名が知れ渡りました。

大広間
総檜の階段
桑材を使用した天井の梁
皇族方が使用した鶴の間
皇族方が使用した鶴の間

西に北アルプスを一望し、東に美ヶ原の王ケ鼻を望み、庭園には、 桜・サツキが美しく咲き、10月中旬からの紅葉も素晴らしい。 この宿の閑静さを愛して文人墨客が多く訪れ、文人の宿と呼ばれた。

昭和39年より日本観光(片倉工業株式会社)及び片倉グループ会社によって経営されてきたが、設備の老朽化や山間の立地などから客足が徐々に遠のき、最新の建築法や消防法に適合するには多額の経費が必要になることか ら、平成8年に閉館し、平成16年に解体されその幕を閉じました。 敷地内に健碑されていた、水掛不動尊と蹲踞、御巡幸記念碑、貞明皇后行啓の碑(阿部能成謹書)、香取秀真歌碑等は、松本市今井にある片倉機器工業の敷地内に移設され保護されていたが、令和2年3月に片倉機器工業が清算されることから移設先が検討され、霞山荘ゆかりの地入山辺に里帰りすることになり、令和2年1月、所有者の株式会社片倉キャロンサービスから入山辺町会連合会に贈与されました。霞山荘跡地の近傍に設置し、入山辺の宝として、地域の皆さんが大切に保存しています。